「無酸素社会を生き抜く」
(日本経済新聞出版社 小西 浩文 定価1400円+税)
主な内容
はじめに−−現代社会と標高8000メートルの共通点
第1章 「無酸素」社会とは何か
第2章 「無酸素」社会で折れない「心」のつくり方
第3章 「孤独」と「無縁社会」を生き抜く術
第4章 介護という「避けられない現実」との向き合い方
第5章 「生きる」ことに疲れないための技術
第6章 「無酸素」社会を生き抜くためのQ&A
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勝ち残る!「腹力」トレーニング
(講談社+α新書 小西 浩文 定価880円)
主な内容
*心の健康を保つ腹力
*理想は鞠のように張った下腹
*「浅い呼吸」は事故につながる
*プチ断食で「飢え」を知る
*ベジタリアンは心に悪い
*腹を締めないノーパン就寝
*「若い頃の写真」が効く
*緊張が30秒で取れるストレッチ
*騒がしい場所は避けろ
*口論を交わす秘技
「生き残る技術」
―無酸素登頂トップクライマーの限界を超える極意―
(講談社+α新書 小西 浩文 2009 年)
「はじめに」より
最初は、一介の登山家である私に、そうした・ビジネス戦士・のみなさんを満足させられるような「答え」を示すことができるだろうかと不安だったが、講演を通じてさまざまな人と出会って話をするうち、みなさんが悩み苦しんでいる問題は、私が八〇〇〇メートル峰の無酸素登頂を通じて乗り越えようとしている「困難」と、本質的に非常に似ているということに気付いた。 昨年あたりから、「百年に一度の大不況」と呼ばれて、日本人の誰もが厳しい現実と戦っている。その一方で、苦しい現実に絶望し、残念ながら自らの手で命を絶ってしまう人も増えている。(略) 幾度となく、「死の地帯」に足を踏み入れて生還した自分の経験が、こうした世の中でお役に立つことはないのか――
「無酸素登頂 8000m14座への挑戦」
〜スーパークライマー小西浩文の愛と墓標〜
(講談社 長尾 三郎 2003 年)
〜著者紹介〜
長尾三郎(2006年 逝去)
政治、社会、スポーツなどの分野で活躍し、未知の領域に挑戦した人間の生き様を描くことをライフワークとする。
主な著書:「マッキンリーに死す」(植村直己伝記)、「エベレストに死す」
北陽高等学校 同窓会会報第26号 2003年10月27日発行
同窓会会長 三木憲三氏 より抜粋
この著者のあとがきで書かれていることは、自分の肉体と精神力だけでデス・ゾーンを乗り越え 8000m の「神々の座」にたどりつく無酸素登頂が現代に残された登山家の極限の挑戦とすれば、自分の「心臓と肺」だけで挑戦する無酸素登頂こそ、スーパークライマーの条件であると言いたい。 そういう意味で私は小西浩文こそ現役最強の登山家とみなし、 3 年ぶりに書いた登山家の物語の主人公として本書に取り上げたのである。と結ばれている。
小西は 1982 年 20 歳の時、初めて 8027m のシシャパンマに登頂してから一貫して酸素ボンベを使用せず無酸素で登り続けている。今までにブロードピーク( 8051m )、ガッシャブルム II 峰( 8035m )、チョーオユー( 8201 m)、ダウラギリ I 峰( 8068m )、ガッシャブルムI峰(8068m)と日本人として最多登頂記録を果たしているが、今後一座登るごとに記録を更新し、全 14 座完登に近づいていく。
しかし無酸素による高所登山の厳しさは想像を絶する過酷なもので 8000m 峰の頂上あたりの気象条件は平地と比べると酸素濃度が 3 分の1、気温はマイナス20℃〜35℃で、それに加えて秒速15 m 〜45 m の風が常時吹いている。この極限の世界では何が起こるかわからない、「死のにおい」がするといわれる地帯で酸素不足は視力減退、思考力低下、脳機能障害などをもたらし、それは死に直結している。突然襲ってくる恐ろしい雪崩の危険もある、1996年エベレスト無酸素登頂の時7500 m 付近で幅100 m の巨大な雪崩に遭遇したが、先を登っていたシェルパのロブサンが自らの死の直前に手袋を脱ぎ「ピーピー」という指笛の知らせで、すぐ付近の氷壁の出っ張りの影に身を隠し助かったのであるが、小西にとってヒマラヤの心をゆるし合ったパートナーであり、シェルパのカリスマといわれていた、ロブサン・ザンブーは雪の中から発見することができず無念さは今でも消し去ることができない。
そのような中で小西が言っていることは「クライマーにとって生き延びること、これが基本でありすべてである。体力、技術力、精神力が超一流という事だけでは8000 m 超の世界14峰を登頂し生還することはできない。神に選ばれた者だけが到達できる世界だ・・・」と。また、「自分は死なないと言う絶対の自信と死んだら自分は所詮それまでである」とも言っている。